XILLIA
わたしの好きな人
「ジュードのことが好きならよかった、です」
本日おすすめのフルーツタルトにフォークを刺しながら、エリーゼがぽつりと呟いた。
カップを持ち上げようとしていたジュードの手が止まる。
イル・ファンに昼が訪れるようになって3度目の春。
新しくできた喫茶店は久しぶりに会った少女にもお気に召していただけたようで、つい先ほどまでは楽しくしゃべっていたと思うのだけど。
好きならよかった、ということはまさか嫌われていたのだろうか。
それはちょっと、いや、かなり悲しい。
自然と下がった眉尻に、エリーゼは弾かれたように首を左右に振った。
「そうじゃなくて、その……ジュードがアルヴィンに思うみたいな好きだったらよかったなって」
「え、と……?」
首を傾げる。
ジュードは今、アルヴィンと同棲している。そこに横たわる感情を、エリーゼは知っているはずだ。
一緒にいたいから。おかえりと言いたいから。――愛しているから。
つまりは、エリーゼはジュードに恋愛感情を抱きたかったと。
人差し指でこめかみを叩いた。
(だめだ、言いたいことがわからない)
エリーゼ自身も言葉が足りていないのはわかっているようで、フォークを動かす手を止めた。視線がさまよう。
「だって、ジュードよりいい男がいないんです」
「エリーゼ?」
「ジュードは、わたしが大きくなったら何になりたいって言ったか覚えてますか?」
上目遣いに見上げてくる若草色の瞳は、以前より位置が近い。
唐突な話題転換。懐かしい記憶を引っ張り出すのに、切り分けられたタルトがエリーゼの口の中へ運ばれるだけの時間を要した。
大きくなったら何になりたい? 旅の間の他愛ない質問。
「お嫁さん、だったよね」
こくりとエリーゼが頷く。
「あの時は、わたし、ジュードのお嫁さんになりたかったんです」
「え、そ、そう……だったんだ」
持ち上げようとしたカップは再びソーサーの上に戻った。琥珀の瞳が瞬く。
やっぱり気づいてませんでしたね、と悪戯っぽく笑われれば肩を小さくするほかない。
「いいんです。今から思えば、あれはただ、ジュードと一緒にいたかっただけなんです」
だって、ジュードとミラが並んでいる姿を見ても、妬む気持ちなんてこれっぽっちも湧かなかった。むしろ並んだ2人が振り向いて名前を呼んでくれたら、とてもあたたかい気持ちになれたのだ。
ジュードとアルヴィンの関係を知ったときも、驚きはしたし、アルヴィンなんかにとも思ったけれど、それだけだった。
だから、今はこの気持ちを間違えない。
「ジュードはわたしの、一番の友達、です」
「ありがとう。僕もエリーゼのことは大切な友達だって思ってるよ」
ようやく紅茶を一口飲んで、ジュードはにこりと微笑んだ。
会いにくると手紙を飛ばされれば、前後に仕事を山積みにしてでも予定を空けるほどには、ジュードにとってもこの時間は愛おしい。
だからこそ、何か悩んでいるのなら力になりたい。
いまだに本筋の見えない話の先を視線で促すと、エリーゼはフォークを置いた。紅茶で喉を潤してため息をつく。
「最近、学校のお友達にも彼氏ができて、好きな人の話を聞いたりして……いいなって、思ったんです」
これまでと同じ景色がまるで色を変えるのだという。
その人のためにおしゃれをしたり、料理を始めたり、デートを前にそわそわしたり。そんな友達がうらやましくて。
恋をしてみたくなったのだ。
「実は、告白されたことも何回かあるんですけど」
「そうなの!?」
ソーサーにぶつかったカップから冷めた紅茶がこぼれた。
予想外に大きな音が響いて、周囲に目礼するジュード。跳ねた紅茶を拭きながら長い息を吐き出した。
「……だけど、そうだよね。エリーゼはかわいいからモテるんだろうなあ」
「でも、ジュードよりいい男がいないんです」
不満げに呟いてタルトを一口。
フォークを持つのとは反対の手で指を折る。
ジュードは優しくて、頭がよくて、強くて、かっこよくて。ついでに医者兼研究者で収入だって申し分なし。
「だから、誰もピンとこなくて」
「それは買いかぶりすぎだと思うけど……エリーゼの虫除けになったのは喜んでおけばいいのかな」
冷めた紅茶を口にして、ジュードはそっと目を閉じた。
「恋は、しようと思ってできることじゃない」
それこそ、するつもりもなかったのに落ちていたりするのだ。なぜ好きなのかと聞かれたら、自分の方が聞きたいと言いたくなるような気持ちもゼロじゃない。
それでも他の人間ではダメなのだ。
ジュードの唇がやわらかな弧を描く。開いた瞼の向こうから現れた瞳は、月のように優しい光を湛えてエリーゼを見つめた。
「誰かと比べても仕方ないよ。いいところも悪いところも全部含めて、一緒にいたいって思っちゃうんだ。少なくとも僕はそういうものだと思ってる」
エリーゼの白い頬が膨らんだ。眉間にしわを寄せて唇を尖らせる様は子供っぽくて、懐かしい気持ちを呼び覚ます。
「……ジュードは、わたしが恋をするのはまだ早いって思ってます?」
「そういうわけじゃないけど、焦る必要はないんじゃないかな。誰かのためにおしゃれや料理をすることは、恋じゃなくたってできるでしょう?」
若草色の瞳が瞬いた。
俯いた視線の先には真新しいピンクのワンピース。白いボレロの裾は小花モチーフのレースが飾る。
「そう言えば、このお洋服、今日のために買ったんでした」
服を選んだ時の気持ちを思い出したのだろうか、鈴を転がすような笑い声が零れた。
向けられた笑顔はどこかすっきりした、悪戯っぽさを含んだもの。カップの影で安堵の息をこぼせば、輝く瞳がジュードを覗きこんだ。
「ジュード、この後何か予定がありますか?」
「買い物して夕飯作るくらいだけど。あ、エリーゼもうちで食べていく?」
「はい。ジュードの料理、久しぶりに食べたいです」
声を弾ませたエリーゼが「だから」と続けた。
「デートしましょう」
恋じゃないけれど、一緒に過ごす時間は楽しいし、待ち遠しくてワクワクした。
大好きなことは間違いない。
それならまだ見ぬ誰かに恋するまで責任を取ってくれてもいいと思う。
だって、ジュードよりいい男がいないのだ。
ジュードの笑みが、エリーゼと同じ悪戯っぽいものに変わった。
「これからだと、行き先が八百屋とかになっちゃうけど」
「いいですよ」
「じゃあ商店街に行こうか。エリーゼの好きなものを作るよ」
伝票を手に立ちあがったジュードが、反対の手を差し出す。
くすぐったそうに肩に落ちる髪を揺らして、エリーゼは差し出された掌に右手を乗せた。
* * *
夕暮れ時、仕事を終わらせてイル・ファンに帰りついたアルヴィンは、買い物客であふれかえる商店街の中で目を丸くした。
八百屋の前で談笑しながら買い物する男女はなんとも微笑ましく、「かわいい彼女じゃない、おまけしとくよ」とトマトを余分に入れたおかみさんを非難することはできない。
が。
待ってほしい、その仲良しこよしな雰囲気を生んでいる片割れはアルヴィンの恋人だ。
ついでに言うともうひとりも貴重な友達である。
え、何コレ、どういう状況?
ていうかジュード君、今こっち気付いたよね? 気付いたけどスルーしたよね!?
内心のショックを押し隠し、飄々と片手を上げて近づいた。
「あれ。お2人さん、どーしたの、手なんかつないじゃって」
そう、手をつないでいるのだ。恋人と親友が。
心臓がバクバク言っているのを表に出さないように苦労して、いつも通りを装って声をかけたというのに、親友はすげなかった。
あからさまなため息の後に、半眼になった若草色の瞳がアルヴィンを見上げる。
「アルヴィン、空気呼んでください」
あれ、俺が悪いの?
「ちょうどいいからこれ持って先に帰っててくれる?」
「は?」
ジュードが食材の詰まった袋を押し付けた。
いや、荷物持ちをするのは構わない。だがなぜ先に帰れと言われているのか。
だんだん泣きそうな気持ちになってきたアルヴィンに、ジュードは笑顔でトドメを刺した。
「僕達デートの途中なんだ」
「デ……!?」
ピシリ。
魔物もいないのに石化した。
身動きとれなくなったアルヴィンの耳を、楽しげな声が通り過ぎる。
「ジュード、わたしドロッセルへのお土産が買いたいです」
「いいよ。荷物も軽くなったことだしサンサーラ商館に行こうか」
「はい!」
そして遠ざかる足音。
振り向きもしない。
「…………どういうこと」
2人の姿が完全に見えなくなって、さらにたっぷり百は数えるほどの時間が過ぎた後。
ぽつりと零したアルヴィンに、八百屋のおばちゃんが「元気だしなよ」とニンジンを1本差し出した。