XILLIA

目を見て、おはよう

 明かりを最低限に落とされた階段をゆっくり上る。
 吐き出した息が我ながら酒臭い。調子のいいオヤジだったな、くそ。時間を潰すつもりでちびちびやっていたはずが飲み過ぎた。瞼が重い。
「青少年はもう寝たかね……」
 割り振られた部屋番号を探しながらひとりごちる。わざわざ口に出してしまうあたり、やはり酔いが回っているようだ。
 飲み過ぎは体に良くないよ、なんて母親みたいなことを子供らしく頬を膨らませて言う少年の姿が頭によぎる。直後に漏れるのは乾いた笑い。2人きりで顔を合わせるのが怖くてバーで酒をあおっていたのに、これではまるであいつに叱られたいみたいじゃないか。
(ああ、いっそ)
 叱られたなら土下座でも何でもして許しを請うことも出来るのに。
 共に行くことこそ許されたけれど、裏切ったことや傷つけてしまったことに対して、あいつは怒りをぶつけてこない。ましてや赦免の言葉なんかあるわけもなく。
 俺なんかあっさり追い越して大人になってしまった少年は前を見据えるばかりだ。かつては飴玉のようだった瞳がどんな強さで輝いているのかも俺にはわからない。見えるのはぴんと伸びた背中ばかり。

 振り向いてほしいとも思う。
 俺を見ないでくれとも思う。

 一度は取り損ねた手にしがみつく俺に向けられる目はどんな色をしている?
「……こえぇよなあ」
 そこに拒絶が浮かんでいたりしたら、立ち直れない。
 俺にはもう、ここしか居場所なんてない。明確な言葉がないのをいいことに、あいつが前を向いているのをいいことに、目を合わせることもできずにいる。
 足を止めて、ドアプレートに書かれた数字を確かめる。
 今日の部屋はあいつと2人。空いている部屋が少なくてチェックインの時に相談していたようだが、お情けでここにいられる身としては意見なんざ出せるはずもなく。部屋割を聞いて慌てたところで後の祭りだ。
 つーか、なんでジイさんがシングルなんだよ。俺なんかと一緒じゃあいつだってゆっくり休めねえだろ。
「はぁ……」
 ドアの前で突っ立ってても仕方がない。アルコールに満たされた脳が眠気を訴えてくる。隣に座ってきた見知らぬオヤジの愚痴だからノロケだかわからんおしゃべりに付き合わされて、いい加減疲れた。
 もう夜更けだ。ジュードだって寝てるだろ。
 音をたてないようにゆっくりとドアノブをひねる。
「……っ」
 薄暗い廊下に差し込む精霊術のやわらかな光に目を細めた。
 なんでまだ起きてるんだよ。
 舌打ちをなんとかこらえて部屋に踏み込む。俯いたのは眩しいからだと誰にも聞こえない言い訳。床を映す視界に予測した白いブーツはなかった。ほっとすると同時にがっかりもする。
 苦笑いながら首を巡らせると、すっかり見慣れた背中が机にかじりついていた。ペンを走らせる音だけが静かな室内に響く。
 じっと見詰めていても気づく様子はない。ペンの音が止んだかと思えばページをめくる音がして、再びペンが動き始める。普段は過ぎる程に周囲に目を配って、魔物の気配にだって俺が声を上げるまでもなく察知するくせに。人並み外れた集中力はこいつの長所であると同時に欠点だよな。
 声を、かけていいものだろうか。
 名前を呼ぼうと唇を開いて、結局息だけを吐き出した。
 向かい合わずに済んだ瞳をわざわざこっちへ向けるような真似をすることない。今更年長者ぶって「早く寝た方がいい」だとかどの口で。邪魔をしたくない。こいつの邪魔になってしまったら、ここにいられない。
 知らず浮かんでいた右手を引き寄せて拳を握った。ゆるやかに首を振って足をベッドに向ける。コートとスカーフはシーツの上に投げ出した。ハンガーにかけるのも面倒くさい。そのままベッドにもぐりこむ。
 どうせ俺は酔ってるんだ。
 酔っ払いは部屋に戻って何も考えずに横になった。そういうことにしといてくれ。


 そう、俺は本当に酔っていた。
 もぐりこんだベッドが、肩まで引き上げた毛布が、高級でも何でもない宿にしては大きかったことにも気づかないほどに。


「ん……」
 ぼんやりと意識が浮上する。まだ重い瞼をうっすら開けば、カーテンの隙間から差し込む朝日に目がくらんだ。瞬きを繰り返して体を起こす。
 まだ寝ててもいい時間だが、喉が渇いた。シャワーも浴びたい。昨夜はそのまま横になったせいか、まだアルコールが纏わりついている気分だ。
 左手で喉を押さえながら足を床に下ろして、ぎょっとした。
 1人がけのソファに野宿で使う毛布が丸まっている。いや、そこからはみ出す黒髪だって見えている。同年代に比べても小柄な体をさらに小さく丸めているのが誰かなんて、見間違えるはずもない。
 なんでソファなんかで寝てるんだ。毛布を被っているということは勉強したまま寝落ちしたわけでもないだろう。
 思わず振り返って、己の失態に舌打ちした。
 部屋には広々としたベッドがひとつに枕がふたつ。
 つまり、この部屋はダブルで。だというのに酔いの回った俺はうっかりとベッドの真ん中を陣取って寝てしまったと。それでこのお人好しは俺を起こすこともせずに綿の少ない硬いソファを寝床にしたってのか。
 部屋割の相談をろくに聞いていなかった昨日の俺を一発殴りたい。
「お人好しも大概にしろよ」
 お前はミラの横に立って、リーゼ・マクシアもエレンピオスも救うんだろ。ガイアスに真っ向から挑もうとしてるんだろ。
 俺なんかに気を使うなよ。
 許してもくれないくせに、なんで優しくするんだよ。
 歯ぎしりして、毛布の隙間から覗く寝顔を見下ろした。数歩の距離を詰める足音に目を覚ます様子はない。
 すぐそばにある机の上にはエレンピオス語の辞書と論文らしい紙束、それからくたびれたノート。旅の間に勉強熱心な少年がよく覚書をまとめていたものだ。論文にはバランの名前。源霊匣に関するものか。
 こいつはすでに、ガイアスを倒した後を見据えて動いている。
 俺は、エレンピオスの危機を黙って見ているわけにはいかないなんてお綺麗な理由を並べはしたけど、そんなの、嘘じゃないが本当の理由でもない。俺一人であの人間離れした王様に挑めなんて言われたら尻尾巻いて逃げる自信がある。
 ここにいたいだけだ。先のことなんて考えられない。しっかり準備を整えるべきだなんて口にしたのも、旅の終わりを少しでも先伸ばしにしたかった気持ちがゼロじゃなかった。
(旅が終わったら……俺は、何をしたら……)
 そうっと、眠る肩に手を乗せた。長めの前髪がさらりと流れ、穏やかに眠る表情が朝の光にさらされる。睫毛が赤みの少ない頬に影を落とす。寝息すら控えめなのがいかにもこの少年らしくて知らず頬が緩んだ。
 こうして瞳が瞼に隠されていれば正面から見つめることもできるのに。
 肩にかけた右手を背中に滑り込ませ、左腕は折り畳まれた膝裏へ。毛布ごと抱き上げた体はイル・ファン海停で出会った時と変わらず軽い。1年もたっていないんだ、当たり前だ。なのにこの小さくて軽い体は今や世界を背負おうとしている。
「ホント、すげぇよ……お前は」
 それに引き換え。
 しがみつかないとと言っておきながら、酒に逃げた自分に乾いた笑いしか浮かばない。追いつきたいのに。せめて置いて行かれることのないように。
「ん……」
 腕に力が入ってしまったのか、抱えあげた体が僅かに身じろいだ。
(やべ)
 急いでベッドに横たえ、両腕を引き抜く。起きる時にめくったままだった毛布をかけてやろうとしたところで、薄い肩が揺れた。
 ぴくりと震える瞼。
 ゆっくりと、瞳が、開かれて――
 とっさに一歩下がる。どくどくと心臓がうるさい。背を伝う冷や汗。
「あ、れ……アルヴィン……?」
 ぱちりと開かれた瞳が俺を捉えた。
 息が詰まる。俺が身動きとれないうちに、ジュードは上半身をベッドから起こした。
「おはよう。ごめん、もしかして運んでくれたんだ?」
 ずっと合わせることのなかった瞳が正面にある。
 水のように透き通る、穏やかに凪いだ色。曇りひとつない琥珀。
「それにしても昨夜はいつ戻ってきたの? 気が付いたら寝てるからびっくりしちゃった。あんまり飲みすぎたら体に良くないよ」
「っ!」
 それは、昨夜、思い描いて打ち消した台詞で。
 胸が詰まった。
 恐れていた色なんかどこにもなくて。朝日を受けた瞳はうつくしく輝いて。
「お、まえ……こそ、夜中まで机にかじりついてないで、ちゃんと寝ないとダメだろ」
「そうだね。バランさんにもらった資料を読みこんでたら夢中になっちゃった」
 震えながら絞り出した台詞に返ってきたのは、指先で頬をかいてはにかむ姿。すっかり大人になってしまったはずの少年が見せる、幼い表情。
 ――なんだ。
 なくしてなんか、いなかった。
「それに、寝ちまった俺も悪いけど、起こすなりなんなりしろよ。せっかく宿に泊まってるのに椅子の上で寝るとか、疲れがとれねぇだろ」
「最初は起こそうとしたんだよ? でも、声かけても目を覚まさなかったから」
「は、マジで?」
「アルヴィン、最近野営で一番長く見張りしててくれたでしょ。疲れてたんだよ」
「いやでもやっぱ椅子で寝ることねーだろ」
 眠りは浅い性質のはずなのに。酒を飲んでいたとはいえ、熟睡してただと?
 だけどそれよりも。
 こんな他愛ないやりとりができることに驚いた。気負いなく続く会話に鼻の奥がツンとする。
 俺の見間違いでなければジュードの口元には安堵を交えた笑みが浮かんでいて。
 震える指先を握り込んだ。ヤバい。嬉しい。俺は、嫌われていないのかもしれない。
 曇りのない琥珀は眩しくて、どっちにしても正面から見つめるには苦しい。それでも、ずっと恐れていた色はどこにもないから。
「ジュード」
「何?」
「……頑張ろうな」
「? うん、頼りにしてるね」
 きょとりと瞬きながらも頷く言葉に、胸が熱くなる。
 スタートはずいぶん後れちまったけど――俺も、前に進むよ。お前と、一緒に。

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