XILLIA2

雨の下の小さな世界

 ぽつ。
 ――ぽつり。

「……雨?」
 窓を叩く音に手を止めた。
 研究とルドガーの手伝いでなおざりになっていた自室の掃除がちょうど一段落ついたところだ。
 今日は手の空いている人間が少ないから無理にクエストを受けるよりはしっかり体を休めようと昨日決めた。それなら研究所に行こうかという考えはアルヴィンにはしっかり見抜かれていて。
『久しぶりにジュード君のピーチパイが食べたいな』
 パイ生地を作るのは時間がかかるから、夕方には帰れると言う彼のリクエストに応えるには家にいるしかない。
 甘えに見せかけた気遣いに気づいてしまえば頬が緩んで、今日の予定は決まってしまった。ここのところ何かと忙しかったから、2人きりでゆっくりしたいという思いも確かにあったのだ。
 ピーチパイは、後は焼くのを待つばかりで冷蔵庫に眠っている。
 テーブルを拭いていた布巾を洗って窓に近づく。
「さっきまで晴れてたのに……」
 厚く雲の垂れこめた空から落ちてくる雫はあっという間にその数を増し、部屋の中にまでざあざあと音を響かせる。
 窓ガラスに手を当てて灰色にけぶるトリグラフの街並みを見下ろした。人々が雨宿りできる場所を求めて走っている。雨脚は強く、当分止みそうもない。
 ポケットからGHSを取り出す。
 ボタンを操作して最新のメールを開いた。


――――――――――――――
from:アルヴィン
件名:商談終わった

今からドヴォール出るわ。ピーチパイ、楽しみにしてるぜ
――――――――――――――


 送信時間からして、もうじきトリグラフ中央駅に着くだろう。
 窓の外とメールを交互に見てから、ジュードは返信画面を開いた。


――――――――――――――
to:アルヴィン
件名:お疲れ様

傘持ってないよね?
迎えに行くから駅で待ってて
――――――――――――――


 送信完了。
 畳んだGHSをポケットにしまうと、ジュードは戸締りを確認し、傘立てから傘を2本引き抜いた。
 アルヴィンを迎えに行くなんて初めてかもしれない。
 なんだかくすぐったくなって、開いた傘の内側で頬が緩んだ。傘を叩く雨粒が早く行こうと歌う。アルヴィンが待っている。
 ジュードは靴が濡れるのもかまわず軽い足取りで雨の街へ踏み出した。



 居住区を抜け、チャージブル大通りへ足を進める。
 普段は人々の話し声でにぎわっている通りも、この雨では人もまばらだ。屋台の店主も辟易した表情で空を見上げている。
 聞こえるのは激しい雨音ばかり――と思いきや。

「あーっ、ジュードだ!」

 明るい声に名を呼ばれて首を巡らせる。
 小さな軒下に明るいピンクの上着が見えた。ツインテールを跳ねさせてエルが大きく手を振っている。隣に立つルドガーが困ったように笑いながら片手を上げた。
「雨宿り? いきなり降ってきたもんね」
「ああ」
「ジュード、ルル見なかった? 雨が降る前にひげがピクピクしたと思ったらダーッて走ってどっか行っちゃったの」
「ルルには雨が降るってわかったのかもね。僕は見てないけど、先に帰ってるんじゃないかな」
「そっかー。ルル、濡れるの嫌いだもんね」
 腕組みをしてうんうんと頷くエルの服も避けきれなかった雨でところどころ濡れている。
 さりげなく風上に立っているルドガーの服は言わずもがな。
 ジュードは一歩前に出ると自分の傘を差し出した。
「ルドガー、ちょっとこれ持ってて」
「? ああ」
 腕を伸ばして差しかけてくれる傘の下で、腕にかけていたもう1本を開いた。アルヴィンお気に入りのブランドロゴが揺れる。
「そっち、2人で使ってよ」
「いいのか? 誰か迎えに行く所だったんじゃ……」
「大丈夫。このままじゃ2人が風邪ひいちゃうよ」
 エルもいるのだから走って帰るわけにもいかない。
 笑いかければ、ルドガーは申し訳なさそうな顔をしながらも腕を引っ込めた。実際、身動きが取れずにいたのだ。
「助かるよ。明日返すから」
「ジュード、ありがと!」
「どういたしまして」
 安堵をにじませたルドガーと元気いっぱいなエルの笑顔を交互に見つめ、ジュードはにこりと微笑んだ。
「それじゃ、また明日」
 手を振って、ジュードは再び駅へと歩き出した。
 もうアルヴィンは到着しているだろう。水たまりを避けながら、少しだけ足を速めた。



 駅舎の入口をくぐると一転して人が溢れていた。ベンチが埋まっているだけでなく、壁にもたれながらGHSで連絡を取る人間も多い。
 列車から降りた人々がこの雨に立ち往生しているのだろう。
 傘をたたんでぐるりと周囲を見渡していたら、背の高い男はすぐ見つかった。
「アルヴィン! ごめんね、待った?」
「いや、さっき着いたばっかり。助かったぜ、売店の傘も売り切れてるし」
 笑いかけた男はジュードの姿を見下ろして鳶色の瞳を瞬かせた。
「って、お前の傘は?」
「来る途中にルドガーに会って、貸してきちゃった。ごめんね、肩が濡れちゃうかもしれないけど」
 1本しかない傘を掲げて肩をすくめる。
 せっかく迎えに来たのに結局濡れるかもしれないのは悪いことをしたと思うけど、所在なさげに雨宿りするルドガーとエルを見たら放ってはおけなかった。アルヴィンだって逆の立場だったらきっと同じことをするだろう。確信できるくらいには一緒にいるつもりだ。
 するりと傘が抜き取られる。
 いつの間にか横に並んだアルヴィンが、出口へ向かってジュードの体を反転させるついでに耳元に口を寄せた。
「いやいや。ジュード君と相合傘できてむしろルドガーありがとうって感じ?」
「何それ」
 吐息がかかってくすぐったい。
 ドアが開けばざあざあと降り注ぐ雨が周囲の音をかき消した。2人、体をくっつけて歩き出す。
 白くけぶる景色は幻のようで、開いた傘の下だけが小さな世界を作っていた。
 ジュードは当たり前に傘を持つ男の顔を見上げ、頬を緩める。
「そうだね。ルドガーにはお礼を言っていいかもしれない」
 別々の傘の下では雨に遮られて間近に顔を見ることもできなかった。
 傘を持ってくれている腕に自分の腕を絡める。どうせ、まばらに周囲を歩く人だって回りの景色なんて見えやしない。
「どしたの、ジュード君。今日は大胆だな」
「くっついてないと、アルヴィンの肩が濡れちゃうでしょ」
 せっかくの大義名分があるのだ。
 いつもは恥ずかしくて出来ないけれど、たまには自分から。
 ぎゅっとくっついて、雨で冷えた空気の中、隣のぬくもりを甘受した。





「しっかしすげぇ雨だなぁ」
「帰ったらシャワー浴びた方がいいかもね」
「何それ、夜のお誘い?」
「ばっ……!?」
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