XILLIA2

Dear My Partner

「ルドガーにプレゼントあげようと思うの」
 真剣な表情でエルが切り出したのはなんとも微笑ましい内容だった。
 話題にあげられた本人はと言えば、安宿に備え付けられた自炊スペースで夕飯を作っている。手伝おうと思ったら「ちょっと来て!」と目の前の少女に呼ばれてしまったのだ。
「いきなりどーしたよ。なんか祝い事でもあったか?」
 せめて後片付けは手伝おう。ジュードが頭の片隅でルドガーに謝っていたら、隣に座っていたアルヴィンが首を傾げた。
「こないだ、ルドガーがチョコ作ってくれたでしょ?」
「エルもお手伝いしたんですよね? とってもおいしかったです」
 唇を綻ばせるエリーゼの頬は薔薇色だ。
 世話になってるから、と料理好きの青年が才能をいかんなく発揮してプレゼントしてくれたチョコ菓子の数々は日々の苦労や疲れなんて吹き飛ぶ味だった。
「まーね!」
 得意げに胸を反らした後、零れるため息。椅子の下で丸まっていたルルが顔を上げた。
「何かあったの?」
「うん……」
 所在なさげに足を揺らしながら語るエルの話をまとめると、どうやらチョコの材料費を捻出するために家計をやりくりしたり、ノヴァからの連絡に頭を下げる姿を目撃してしまったらしい。
「エルもチョコ作ったけど、全部ルドガーのお金だったんだよね」
 うつむいた拍子にツインテールが頼りなく揺れた。
「あいつ、チョコにどんだけ使ったんだよ」
「確か大家さんにもあげてたし、10人以上の材料費って考えると確かに……」
 掌で顔を覆うアルヴィンの声に呆れが混じるのも無理はない。
 自分達がやりたくて手伝っているのだし、分史世界に至っては世界中の人々に関わる事なのだから、そんなに苦労してまでお礼をしてくれなくても大丈夫なのに。
 ジュードは思わず扉に目をやった。向こう側では今も手を動かしているのだろう。人のことを言えないのはわかっているが、相当なお人好しだ。
 皆に気持ちが伝わったとわかったのか、エルはこくこくと頷いた。
「ルドガーはまあまあ頑張ってるほうだし、ネギラってあげるのがアイボーのツトメでしょ?」
「それでプレゼントなんですね」
「でも、エルお金持ってないからどうしようかなって」
 小さな眉間にしわが寄る。
 お菓子を作るのに材料費がかかるように、何かを作るにしてもタダとはいかない。そのくらいの費用は出すと言ってもエルは頷かないだろう。彼女は自分の力でプレゼントを用意したいのだ。
 人差し指をこめかみに当てる。
 お金がかからなくて、ルドガーが喜んでくれるもの――彼なら何だって喜ぶだろうけど、エルがプレゼントにふさわしいと思うものでなければ。
 思考を止めたのは手を叩く小さな音とエリーゼの声だった。
「だったらお花を摘んでくるのはどうですか?」
 胸の前で掌を合わせた少女の横でティポが「ナイスアイディア〜!」と身をくねらせる。
「花かあ〜」
「定番かもしれねぇけど、クエストだのなんだので家を空けること多いだろ。すぐ枯れちまうんじゃねーの?」
 腕を組むエルに続けてアルヴィンが顎に手を当てる。
 少し意外だ。瞬きして、ジュードは隣に座る男を見上げた。
「僕、アルヴィンはスマートに花束を贈りそうなイメージがあったよ」
「そりゃあ……」
 本人だって定番だと言ったのに。思ったままを口に出せば、ばつが悪そうに鳶色の瞳が彷徨う。何か都合が悪かっただろうか。ジュードはもちろん残る2人も続く言葉を待っていたら、取り繕うのが下手になった男は明後日の方角を見ながら呟いた。
「とりあえず花を贈っとけば女は喜ぶだろ」
 ぶっきらぼうな口調はしかし頼りなく。ジュードは内心で苦笑した。
「アルヴィン……」
「エル知ってる。こーゆーのスケコマシって言うんでしょ」
「はあっ!?」
 案の定、小さなレディ2人からは冷めた視線を送られる。
 それにしてもエルは時々変な言葉を知っているものだ。どこで覚えてくるのだろう。
「おいジュード、見てないでなんとか言ってくれよ」
「大丈夫だよ。今のアルヴィンがそんな人じゃないってことはわかってるから」
「フォローになってねーからな……」
 向けた笑顔はあまり功を奏しなかった。誰かのご機嫌取りに花を贈っていた過去を自ら臭わせておいて、今の彼に対する信頼以上の何を求めるのだ。
 両手で顔を覆って泣き真似をする髭面の大男に愛しさを覚える人間なんて稀なのだから、もう少ししゃんとすればいいのに。
「もー、アルヴィンうるさい!」
 エルのまろい頬がぷうっと膨らんだ。
 眉尻を下げたエリーゼがジュードを覗き込む。
「ジュードはお花もらっても嬉しくないですか?」
「そんなことないよ。綺麗な花をもらって嫌な気持ちになる人はいないんじゃないかな。アルヴィンだって嬉しくないって言ったわけじゃないよ」
 彼はただ、あちこちへ遠出するルドガーへのプレゼントには不向きじゃないのかという懸念を告げただけ。先ほどフォローし損ねた男の名誉のために付け加えて、ジュードは揺れる若草色の瞳に笑みを返した。
「アルヴィンはひねくれてます」
 唇を尖らせたのは一瞬。眉間のしわがとれて零れる安堵の息。
 それからエリーゼは友人とお揃いで買ったというリボンを揺らして身を乗り出した。ようやく顔を上げたアルヴィンが瞳を瞬かせる。
「いいですか、こういうのは気持ちが大事なんです!」
 花に両親の気持ちを教えてもらった少女の瞳は力強い。
 遅かれ早かれ枯れてしまうものだなんてわかってる。それでも花を贈る人が絶えないのは、花は枯れても心に残るものがあるからだ。
 今のエレンピオスでは生花を見る機会は少ないからなおさら。
 逸れかけた思考を留めて、ジュードは僅かに目を伏せる。
「そうだね。ルドガーはエルが花を摘んできたらすごく喜ぶと思うよ」
「ルドガー、喜ぶ?」
 ぱっと表情を明るくしたと思いきや、乗り出した上半身を椅子の背に預けて澄まし顔。
「べ、別に、喜ばせたいとかじゃないし! さっきも言ったけど、アイボーのツトメなんですー」
 タイトーなカンケーだと告げているのに、事あるごとに子供扱いするアイボーをビックリさせてやるのだ。
 息巻いて膨れた頬はほんのり赤い。
「はい、びっくりさせちゃいましょう」
 エリーゼが胸の前で手を組んで微笑みかける。
「花にはそれぞれ意味があるんですよ。花言葉に想いを託すってロマンチックだと思いませんか?」
「なんか大人っぽい!」
 尖っていた唇はあっさりほどけて、翡翠の瞳はキラキラと年上の少女を見つめた。
 エルの興味を引く提案が出来たことが嬉しいらしく、エリーゼの代わりにティポが得意げに笑う。
「アイボーにあげるのは何の花がいいの?」
「それは……ジュード、わかりますか?」
「もー、エリーゼってばカンジンなこと知らないんだから」
 腕組みするエルに肩を小さくするエリーゼ。『お姉さん』への道は遠い。
 二対の視線を受けて、ジュードはこめかみに人差し指をあてた。
「うーん」
 まず、相棒にあげるのにふさわしい花言葉とは何だろう。
 感謝? 友情? エルが求めているのは違う気がする。労うのだと言っていた。
 以前読んだ本の内容を記憶からさらうジュードと、答えを待つ2人。それを見守るアルヴィン。なんとなく訪れた静寂は長くは続かず、ジュードはゆっくり手を下ろした。
「……シザンサス、なんてどうかな。『良きパートナー』とか『あなたと一緒』っていう意味なんだ」
 花言葉を告げてゆっくりと見渡せば。
「それ、いい!」
「です!」
「確かにこの上なく『アイボーの花』だな」
 立ちあがりかけて椅子を揺らすエルに笑顔で頷くエリーゼ。顎に手を当ててアルヴィンの告げた『アイボーの花』という単語がまたエルの瞳を輝かせた。気に入ってもらえた様子に胸をなでおろす。
「ジュード、その花どこに咲いてる!?」
「えっと……確か、サマンガン街道のあたりだったかな」
 雨に弱く、寒さにも強くない。日光も必要。モン高原に咲くプリンセシアのように人の手をかければ他の土地でも育つだろうが、自生するには場所を選ぶ花だ。
「この近くじゃないのかぁ」
 唸るエルを見て、アルヴィンが視線を窓に向ける。日が暮れて外の様子は見えないけれど、宿の外にはクエスト斡旋所があった。
「そういや、カラハ・シャールに届けものするクエストがあったな」
 アルヴィンの発言にジュードは一瞬首を傾げた。疑問符を投げかけて、危ういところで口をつぐむ。
 件のクエストは確かに掲示板に張り出されていたけど、近場の魔物退治も何件か出ていた。効率のよさでいえば後者を受けるべきだ。そんなことはアルヴィンだってわかっているはずだし、ルドガーもきっとそのつもりだろう。
 でも。
「クエストのついでならお金もかかりませんね」
「うん!」
 華やいだ声がすべてだ。
 人のことをお人好しだと言うけれど、気遣いのさりげなさは彼の方がよほど上だ。
 吐息にも満たない小さな笑みをひとつ零して、ジュードはそっと傍らの男に視線をやった。鳶色の瞳はこちらに気づくと悪戯っぽいウィンクをよこす。
 耳に飛び込むのはエルの元気な声。
「あ、今の話、ルドガーにはナイショだからね!」
「りょーかい」
「うん、わかってる」
「任せてください。わたしがカラハ・シャールでルドガーを引きとめておきます」
 拳を胸に当ててエリーゼが微笑む。
 話がまとまったところでドアが開いた。
「夕飯そろそろ出来るけど……どうしたんだ?」
 振り返れば布巾を手にしたルドガーが入口に立っていた。
 エルが念を押すように目に力を込めてテーブルにつく3人を見渡すものだから、青年は小さく首を傾げる。
 口元が緩むのを押さえきれない。アルヴィンも同じだったらしく、唇の端をにやりと上げて肩をすくめた。
「明日の予定を立ててただけだよ」
「カラハ・シャールに行くクエストを受けようと思うんだけど、いいかな」
 ジュードが立ちあがって掌を差し出す。視線で意味を察したルドガーは布巾を渡しながらいっそう首をひねった。斡旋所の掲示板を思い出しているのだろう。
「何か用事でもあるのか? あ、それとも報酬がよかったとか……」
「もー、ルドガーはビンボーなんだから、仕事を選んでる場合じゃないの!」
 即答しないルドガーに早くもエルの忍耐が途切れた。頬を膨らませて腰に手を当てる様子だけ見れば微笑ましいものだが、発言は容赦ない。下手に正しい部分があるものだから反論もできずにルドガーは胸を押さえて俯いた。
「うぅ……」
「ナァ〜」
 ルルの鳴き声は慰めよりはため息のようで。
 エリーゼが立ち上がってぎこちない笑みを浮かべた。
「あ、あの、わたし、カラハ・シャールに行くことがあったらルドガーにお願いしたい事があったんです。だからちょうどいいと思って」
「そうなのか?」
 あっさり表情を戻ルドガーす。ついでにクエストについても納得したようだ。
 アルヴィンが大きく手を鳴らして場をまとめる。
「決まりだな。さ、メシにしようぜ!」
「ごはーん!」
 明日はカラハ・シャールに向けて出発だ。早々に斡旋所に行ってクエストを確保しなくては。


***


 依頼自体は簡単なものであったが、移動と受け渡しでなんだかんだと斡旋所に受領証を持って行ったのは夕方だった。エリーゼの勧めとドロッセルの厚意でシャール邸に泊めてもらった翌日。
 カラハ・シャールは今日も晴天なり。
「出発シンコー!」
 街道の入口でエルが右の拳を突き上げた。左手には畳んだ紙が1枚。昨晩ジュードが本から書き写した花の特徴とスケッチだ。愛用のリュックサックにはシャール家の庭師が貸してくれた園芸ばさみが入っている。
「おーおー、張り切ってるねえ」
「魔物が出るかもしれないから僕達の傍から離れないでね」
「わかってますー」
 道の左右には緑が輝き、蝶が舞っている。
 さっそく視線を巡らせる少女を先頭に、ジュードとアルヴィンはゆっくりした歩調で続いた。ルドガーを手伝うようになって遠出をする機会は増えたが、道端の花に視線をやりながら歩く余裕なんてなかったかもしれない。吸い込んだ空気はあたたかな緑の匂い。ジュードの唇が綻んだ。
「ルドガーとエリーゼには悪いことしちゃったかな」
「向こうは向こうで楽しんでると思うぜ?」
 出かける前、シャール邸の立派な厨房を前に目を輝かせていたルドガーを思い出す。
 エリーゼが頼んだのは、ドロッセルのオレンジスープ作りにつきあってほしいというものだった。彼女の目指す味をルドガーは知らないけれど、美味しく作るためのアドバイスくらいはできるだろうと。
 帰る頃には美味しいスープができているに違いない。
「花、見つけて帰らないとね」
 目を細めた視線の先で、エルが振り返って手を振った。
「もー、2人とも何してるの? このへんにはないっぽいし、先へ行くよ!」
「あ、待ってエル」
 ジュードは小走りに距離を詰める。変わらぬペースで歩きながら頬を緩めるアルヴィンに少女の叱責が飛んだ。肩をすくめる気配に振り返ってジュードも手招く。
「ほら、アルヴィンも探さなきゃ」
「俺はよくわかんねーから魔物の警戒担当ってことで」
「しかたないなー。ちゃんとゴエイしてよね!」
「へいへい。お任せください」
 エルは腰に手を当ててアルヴィンを見上げる。唇を尖らせても返ってくるのはいまいち誠意の感じられない口調だったものだから、吊りあがった目尻は半眼に変わるのだった。


「アイボーの花、どこにあるんだろ」
 耳を打つ小さなため息。しわの寄った紙を見つめる翡翠の瞳に陰りが見える。
 太陽はまだ高いけどずいぶん移動してしまった。シザンサスはまだ見当たらない。帽子を被った頭を見下ろして、ジュードは眉根を寄せた。
 ふいに草の揺れる音。
「ちょっと休憩しようぜ。喉乾いちまった」
 振り向けばアルヴィンが道を外れ、丈の長い雑草をかき分けていた。蝶が1匹慌てたように飛んでいき、腰かけるのにちょうどよさそうな高さの岩が現れる。
「そうだね」
 疲れがたまっては余計に気分が沈んでしまう。ジュードは胸にたまっていた重い空気を吐き出して眉を開いた。
「エルもこっちに来て座ろう?」
「でも、暗くなる前に見つけないと!」
「まだ時間はあるって。せっかくおやつ持ってきたんだから食べようぜ?」
 苛立ちをあらわにしかめられた顔は、アルヴィンの掲げたクッキーの袋を前にせわしなく色を変えた。いくら気を張っていてもずっと歩いていれば疲れるしお腹もすくのだ。
 数秒の葛藤の末、エルはジュードとアルヴィンの間に腰を下ろした。
「しょ、しょーがないなー。ちょっとだけだよ?」
「一休みしたら場所を変えてみよう」
「うん」
 水筒から注がれたぬるいお茶が歩き通しの体を潤す。クッキーはエリーゼが最近人気だと教えてくれた店のもので、バターの風味とナッツの香ばしさが食欲を刺激した。
 少しの間、クッキーを食べる音だけが街道に響く。
「あ……っ」
 ほろりと崩れたクッキーがエルの手元からスカートに落ち、そのまま地面に転がった。それはちょうど最後の1枚で、大きな瞳は恨めしげに地面を睨む。
 ぎこちない静寂。
 食べかけだけど自分の手にあるクッキーを差し出すべきか。悩んだジュードの視線を感じたのか、エルは勢いよく立ちあがった。
「あ、アリにお裾分けしただけだし!」
「おー、エルは優しいなー」
「エルは大人のオンナだからね!」
 アルヴィンの含み笑いに、子供扱いを嫌う少女はぐっと胸を反らしてみせた。
 強いなあと思う。
 まだ8歳の女の子なのに。背伸びした言動は微笑ましいけれど、見知らぬ土地に放り出された境遇が強がりを言わせているのかもしれないと思うと胸が痛んだ。
 甘えていてはダメだという気持ちはジュードにも覚えがある。だからエルの態度を否定するつもりはない。頑張ったな、という一言は夜域を抜けた瞬間の光を伴って胸に焼き付いている。
 ただ、少しばかりもどかしくて。
 水筒のふたを閉め、空になった袋を片付ける。
「そろそろ行こうか」
 せめて必要以上に少女が強がる必要のないように、出来ることからやっていこうと、ジュードはやわらかい笑みを向けた。
 髪がぐしゃりとかき回される。この場でこんなことをする人間は1人しかいない。時間をかけてセットしたことを知ってるくせに。振り仰げば複雑な笑みを浮かべた男の顔。
 大丈夫だよ、というのも違う気がして。
「……おべんと、ついてる」
 ジュードは髭を蓄えた顎のラインをつまんで軽く引っ張る。
 歪んだ唇。瞬いた瞳がやけに子供っぽくて、思わず噴き出した。横からエルが盛大に息を吐く。
「だらしないなぁ」
「え、マジでついてた?」
「ふふ」
 落ち着かない様子で顎をこするアルヴィンを見て、肩を揺らす。
 今は、エルのために花を探さなくては。
 琥珀の瞳が周囲を見渡す。踏み固められて乾いた道が北東に続く。南にはサマンガン樹界のうっそうとした影。
 このまま道なりに進んでも成果はなさそうだ。目当ての花は日当たりのよい場所を好む――なら。
「北へ行ってみようか」
「うん!」
 大きく跳ねるツインテールを横に見て、ジュード達は下草を踏みしめた。
 ところどころ丈の長い草が密集した場所をかき分け、緑の間に揺れる花びらを見つけるたびにエルは手元の紙と見比べる。
「切れ込みの入ったチョウチョみたいなはなびらで、千切れたみたいな葉っぱ……」
 黄色く咲き誇るタンポポ、大輪の白い花は百合の一種だろうか。絵と同じような花びらを持つ花はなかなか見当たらない。
 大きな音を立てて雑草を掻きわけたエルの前、やけに大きな花が揺れた。翡翠の瞳が丸くなる。
「エル、危ない!」
「きゃっ」
 風向きを無視して動いたのはプチプリだ。蕾を拳に見立て、茎がしなやかに振りかぶる。叫ぶと同時にジュードが細い腕を掴んで引き寄せた。
 左右の蕾が数秒前までエルの頭があった場所を通り過ぎる。直後に響く銃声。のけぞった体にナックルをはめた拳がヒットした。
 オレンジ色の花びらが散る。
 プチプリが音を立てて雑草の上に倒れると同時に2人そろって振り返る。
「エル!」
「無事か!?」
 見えたのは岩陰から覗く黄色いリュックサック。いつもならすぐに返る言葉が聞こえない。血の気が引くのを感じながら駆け寄れば。
「あった!!」
 こちらからは見えない岩の向こうを細い指が示す。
 勢いよく立ちあがる姿に安堵の息を漏らした。アルヴィンが紺色の帽子を押さえつけるようにエルの頭を撫でる。
「おもーい!」
 頬を膨らませて振り仰いだ姿は元気そのもので怪我ひとつない。
 肩の力を抜いて示された先に視線をやれば、岩の反対側はなだらかな下り坂になっており、ピンク、白、赤……群れる蝶の如く花が咲き乱れていた。傾きかけた日差しを受けて眩しく揺れる。
 エルは駆け寄ってすっかりくしゃくしゃになっていた紙を広げた。
 切れ込みの入った、上下で形の異なる花びら。中央部の斑点。一株にいくつも咲いて。
 花に負けぬ笑顔がジュードを仰ぐ。
「ジュード、これ!?」
「うん。『アイボーの花』だね」
 夕方になる前に見つかってよかった。隣にしゃがんで笑みを返す。手を伸ばせば風に撫でられたシザンサスの花は指に戯れる蝶のよう。
 ここまで歩いてきた疲れなど忘れた様子でエルはリュックを下ろす。
 ――と。
「気をつけろ、まだいるぜ!」
 アルヴィンの鋭い声が空気を震わせた。
 立ちあがりながら振り向けば広い背中が緊張を伝える。幅広の大剣を右肩に担ぎ、左手に銃を握るいつもの構え。顔は前を向いたまま、視線だけで左右を探る気配が窺えた。
 隣に立って拳を握る。ナックルの感触を確かめた。
 草を踏む音は周囲から複数。
 気配を探りながらエルに離れるよう促せば、返ってきたのは予想外に否定の言葉だった。
「ダメ! ここで戦ったら花がつぶれちゃうし!」
 やっと見つけた花。ここで散らしてしまったら、きっと今日中には見つけられない。少女の焦りは声だけで十分伝わった。でも。
 ジュードの眉間にしわが寄る。
「エル、危ないから……!」
 下草を押しつぶして現れたのはボアが3体。見慣れたものより一回り大きい。触れただけで幼い体は簡単に跳ね飛ばされてしまうだろう。どうにか離れてもらわなくては。
 ボアの動きを追いながら思考を巡らせる。
 ジュードの緊張とは裏腹にアルヴィンが小さな笑声を漏らした。
「まーまー、ジュード君。ここは俺達の腕の見せ所ってやつでしょ」
「アルヴィン!?」
 見開かれた琥珀の瞳が隣の男を振り仰ぐ。背中からは安堵の気配。
 視線の先、アルヴィンはにやりと唇の端を持ち上げて銃把を握り直した。少しだけこちらを向いた鳶色の瞳がウィンクをよこす。
「ここより後ろに通さなきゃいいだけだろ。簡単だって」
 自信と、信頼と、何より少女の気持ちを慮った台詞に。
「もう……。エル、危ないと思ったらすぐに離れるんだよ?」
「ヨユーだし!」
 ジュードは大きく息を吐いた後、足を前後に広げて構えを取る。弾んだ声を聞いてしまえば、魔物を一歩たりとも花畑に踏み込ませるわけにはいかない。鋭い視線を敵へと向ける。
「アルヴィンも。油断してると足元すくわれるからね」
「へいへい」
 軽い口調は気負いのなさの証だ。
 アローサルオーブに意識を集中する。目とは違う感覚で傍らの光を感じた。イメージの手を伸ばせば光が応え、2人を結ぶ。
 広がる景色。繋がる意思。
「行くよ!」
 たわめた膝を一気に伸ばした。
「レインバレット!」
 天めがけて放たれる銃声を背後に聞く。
 もとより群れで行動していたのか偶然か、突進してくるボアは矢じりの陣形だ。一番近い正面のボアに左の拳を叩き込む。踏み込みながら右で追撃。腕を振った勢いのまま体を捻り、横面を蹴り飛ばした。
 濁った鳴き声が響く。
 身震いしたボアが牙を振りかざす頃にはジュードは両足を地に着け、瞬時に呼吸を整えた。腰を落とし、左脇に風を抱く。
 獣の鼻息が前髪をそよがせた瞬間。
 両の掌に収まっていた風が一気に膨れ上がった。滑るように踏み込みながら、右手を上から下へ、左手を下から上へ。広げた腕に導かれた風が敵を足元からすくいあげると同時に、ジュードはボアの脇をすり抜け背後に回りこむ。
 どう、と鈍い音が地面を揺らした。
 もがくボアを視界の端に収めつつ右に向き直り、通り過ぎようとした1体に足払いをかける。
「行かせないよっ」
 前足を浮かせたボアが爛々と輝く瞳にジュードを捕らえた。反撃に備えて足の裏に力を込める。左から迫る気配は翻る白衣に届く前に銃弾を受けるだろう。心に直接響く意思。敵に背中を向ける恐怖など微塵もなかった。
 前にいる敵の動きに集中し、攻撃に移った一瞬を捉える。わずかに生じた死角に潜り込むのはジュードの得意とする戦法だ。回り込んだ背後から闘気を叩きつける。響き渡る獅子の咆哮。
 巨体がつんのめった先に青いエネルギーの雨が降り注いだ。毛皮を穿つ光。くぐもった悲鳴が重なった。
「ふたりともやっちゃえー!」
 響く歓声は花を守るように仁王立ちした少女のもの。無意識に唇を綻ばせたのが伝わったのだろうか、光の糸が楽しげに震えた。
「任せとけって」
 アルヴィンが大剣を斜めに振り下ろしながら前進する。足の運びにあわせて力強い2連撃。起き抜けのボアが刃に押されて後退した。
 一箇所に集められたボアが反撃に移る前に線を引くように掃射される銃弾。敵が足を止めているうちにジュードは高く飛び上がり、1体の頭を蹴りつけながらアルヴィンの傍らに着地した。
 下段に構えた剣の柄に銃をセットしながら鳶色の瞳がジュードを見た。持ち上がった唇の意味を正確に読み取り、頷きを返す。
 大きく一歩踏み込んだ。半身に構えて右手を腰まで引き寄せる。
「アルヴィン!」
「はいよっ」
 膝をついたアルヴィンが銃と合体させた大剣から蓄えたエネルギーを解き放つ。地を這う衝撃波はもはや弾とは呼べず。圧倒的なエネルギーの塊が体の横を通り抜けるタイミングでジュードは掌底を繰り出した。闘気を重ねて衝撃波を加速させる。
 ちぎれた下草が舞い散って。
「「拒甲掌破!!」」
 土煙の止んだ先、3体のボアはまとめて叩き伏せられた。
 魔物が完全に動かなくなったのを確かめてから構えを解く。2人を繋いでいた光もふつりと途切れた。戦いは好きではないけれど、この瞬間は名残惜しい。
「やったぁ!」
 まどろみの中で毛布を取り上げられるような感覚は吐息とともに追いやって、弾む声へと振り返った。
「それじゃ、花を摘んで帰ろ……何?」
 軽く背を叩かれて、隣の男を見上げる。悪戯っぽく持ち上げられた口元と、穏やかに下がった目尻。
「また、繋がってくれるんだろ?」
「……そうだね」
 アローサルオーブなんてなくても君には伝わるみたいだけど。
 小さく肩を揺らして、ジュードは花を摘む少女の下へ歩き出した。


***


 シャール邸に帰り着いた頃には、空は橙から群青へとすっかり色を変えていた。両開きの扉を開けば、紫色のぬいぐるみが一直線に飛んでくる。
「遅かったじゃないか、バホー!」
「ごめんね、ティポ」
 布と綿に遮られてくぐもった声は相手にきちんと届いただろうか。
 真っ暗になる視界。頭をすっぽり包む布の感触。
 こんな風に噛み付かれるのも久しぶりだ。ジュードは苦笑いを浮かべながら、ティポを引きはがそうと試みる。相変わらずの弾力。こもった聴覚に小さな笑い声が届いた。
「皆、おかえり」
「ただいま!」
 エルが勢いよく右手を上げたのと同時に、きゅぽんと音を立ててジュードの頭が解放される。
 目の前に立っていたエリーゼが結い上げた髪を揺らす。見つめてくる若草色の瞳にはかすかに不安が揺れていた。
 メールのひとつでも入れておけばよかった。
 微笑みながら頷いてみせれば、エリーゼは肩の力を抜いてふわりと微笑んだ。
「どこに行ってたんだ? もう夕飯できてるぞ」
 声をかけてきた青年の下へエルが駆け寄る。
「ルドガー!」
「ん?」
「はい、これあげる!」
 片膝をついて出迎えたルドガーに差し出される花束。ピンクの花びらが蝶のように踊り、やわらかな匂いが鼻をくすぐった。束ねるリボンはエルがリュックサックにしまい込んでいた『タカラモノ』のひとつだ。
 目を丸くするばかりで動かない相棒に対し、エルは「仕方ないなあ」とでも言いたげに胸を反らした。
「アイボーの花だよ。ルドガーはまあまあがんばってるから、エルからのゴホービ」
 そうして、ずいっと花束を突きつける。
 揺れる花びらと得意げな笑み。告げられた言葉の意味を脳内で反芻しているのだろう、じわじわとルドガーの表情がそれまでとは違う驚愕に彩られていく。
「もしかして、これを摘みに行ってたのか……?」
「まーね!」
 ルドガーの両手が小さな手を包み込むように花束を受け取った。翡翠の瞳が愛おしげに細められる。
「ありがとう、エル」
「どーいたしまして!」
 頬を染めて笑う少女に微笑み返したルドガーが、受け取った花束から一輪抜き取って亜麻色の髪に差してやる。
 ぱちりと瞬いてから眉を吊り上げるエル。
「もー、これはルドガーにあげたの!」
「アイボーの花なんだろ? 俺だけ持つのはおかしいじゃないか」
「あ、そっか」
 ひとつ頷いて、エルは耳元で揺れる花に指を伸ばした。
 同じ色をした瞳がぶつかって笑いあう。
「2人とも嬉しそうです」
 エリーゼは胸の前で手を組んで頬を緩めた。
「そうだね。エリーゼがいい案を出してくれたおかげだよ」
「エリーゼはエルのお姉さんだからね〜」
 ジュードが微笑みかければ、傍らに浮かんだティポが自慢げに体をよじった。
「女の成長は早いねぇ」
 腕を組んだアルヴィンの台詞はジュードも感じるところではあったが。
「アルヴィン、オジサンくさいですよ」
「セクハラだーっ!」
「オジサンでもセクハラでもねーよっ」
 エリーゼのジト目とティポの甲高い声が胸に刺さる。図らずも盾となったアルヴィンに内心で合掌。
 空気を感じとったのか、不意にアルヴィンが視線をよこした。返事代わりに肩をすくめる。がくりとうなだれる男の背を軽く叩いてやった。
 本当に、エリーゼは強かになった。
「あら、皆さん戻っていらしたのね」
 階段を下りてきたのはドロッセルだ。賑やかなエントランスホールに笑みを零し、ぽんと掌を合わせた。
「私も仕事が終わったところなの、皆で夕飯にしましょう?」
 言われてみればおなかがすいてくる。小さな体で歩き通したエルはなおのこと。勝気な瞳をきらめかせておなかに手を当てている。
 エリーゼが声を弾ませた。
「ドロッセルが作ったオレンジスープ、とってもおいしくできたんですよ」
「ルドガーにいろいろ教えてもらったおかげね」
「大したことじゃないよ。それに立派な厨房を使わせてもらえて楽しかった」
「エル、ドロッセルのスープは食べたときない! 早く行こ、皆」
「手を洗ってからだぞ」
「わかってるし!」
 耳に心地よいざわめきを奏でながら一同が歩き出す。
 一番後ろを歩き出しながら、ジュードは白衣のポケットを弄った。指先に触れたやわらかな感触を掴む。
「アルヴィン」
「ん?」
 振り向いた男の手を取って、取り出した一輪の花を乗せた。その花びらの形は今日一日エルが探し求めたもの。
 瞬く鳶色を見つめて目を細める。
「シザンサスの花言葉、覚えてる?」
「あ、ああ。確か……」

 ――あなたと一緒に

 唇を動かす途中で、丸くなった目が掌に咲く白い花を見下ろした。ほんのり色づく目尻に頬を緩めるジュード。
「ほらね」
「……何がだよ」
「花をもらえば、嬉しいでしょう?」
 笑いながら首を傾げれば、アルヴィンは眩しそうに眼を細めた。
「そうだな」
 と、耳に飛び込む元気な声。
「2人とも何やってるのー!? 早く来ないとスープが冷めちゃうし!」
 食堂の入り口でエルが大きく手を振っている。見合わせた顔は同時に笑みを零して、せかす少女に向き直った。
「ごめん、今行くよ」
 並んで歩き出す。
 不意にアルヴィンが腰をかがめ、耳元に低い声が滑り込んだ。
「今度は俺から赤い薔薇でも贈るよ」
「キザなんだから、もう……」
「ジュード君こそ」
 アルヴィンは楽しげに笑いながら、手にした花に口づける。
 ああ、まったく。赤くなった頬を見られぬように、ジュードは大きく一歩踏み出した。










「ところでジュードが昨日書き写してた図鑑見たんだけどさ」
「うん?」
「別名『貧乏人のラン』ってあったんだけど、まさかそれも知っててルドガーに……」
「違うからね!?」
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